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第四十二話 -死の香り-

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 時は、突如として訪れた。

 広場で無邪気に戯れる子供達を、通りを行き交う賑やかな人々を、木々を、草花を、徐々徐々に覆いつくしてゆく闇──
 誰もが息をひそめ、ただ静かに空を仰ぐ。群衆の視線の先には、正円の月影に呑まれゆく、眩い太陽の姿が映し出されていた。
 大地を照らす温かな木漏れ日、水面にきらめきを与える眩い日差し。それらが遮られた薄闇の世界は、途端に混沌へと変わり果てる。
 泣き叫ぶ子供、我先にと人込みを急ぐ青年、ひたすら祈りを捧げる老人。誰もが皆、姿無き賢者の名を叫び、縋り、救いを求めた。
 狂乱の最中、上空から闇を纏いて無数の影が舞い降りた。
 魔の者達。奴らの毒牙によって、美しき緑の大地は、抗う術もなく犠牲となった人々の鮮血で赤く染まってゆく。
 世界が、荒廃してゆく──
 荒れ果てた広場の中央に、一人の少女が立ち尽くしていた。彼女のエメラルドグリーンの瞳に映る相手は、いつかの赤眼の魔族の姿だった。
 思わず駆け寄り手を差し伸べる。しかし次の瞬間、その華奢な身体は無残にも引き裂かれ、少女は目の前で静かに崩れ落ちた。
 絹を裂くような悲鳴が響く。それは民衆のものでも少女のものでもない。
 それは、私自身の心の不安を形作ったもの──

「……っっ!!」

 不快な汗が頬を伝い、彼女はソファから身を起こした。
 胸が詰まるほどに呼吸が上がり、激しい頭痛と吐き気が襲う。このいやに現実的な悪夢を頻繁に見るようになったのは、一体いつの頃からだっただろう。
「……疲れているのかしら……」
 荒くなった息を落ち着かせながら、乱れた黒髪を後頭部で結い直した彼女は、白のエプロンに寄ったシワを手で払うと、徐に窓辺へと歩み寄った。
 硝子戸の向こう側に見える空は夕刻の黄昏に染まり、眼下に広がるフリースウェアーの城下町を鮮やかな緋色に彩る。温かい色調の街灯が陰影に光を与え、町全体が次第に昼間とは違った優しい輝きに包まれていった。
 心にしみわたる、とても穏やかな情景──
 しかし、硝子に映り込んだ自身の表情は、思いとは裏腹に愁いを帯びていた。
 子供達が旅に出てから、黒炎を操る赤眼の魔族ロアは不思議と姿を見せなくなった。それは民衆にとっては願ってもいない好事であり、以来、国は魔族襲来以前の安寧と活気を取り戻していた。人々はのどかで平和な生活を送り、広場や通りは毎日のように笑顔で満ち溢れている。
 しかし……果たしてそれが、人々にとって必ずしも好事と言えるのだろうか?
 夢の中で起きた殺戮を思い返すたびに、得も言われぬ不安が蘇る。もし、あの悪夢が現実になってしまったら、平和な生活に馴染んでしまった国民達は、恐れずに行動を起こすことが出来るのだろうか。
 黒竜戦争の惨劇を繰り返さずに済むのだろうか──

「レダ、交代の時間よ」

 ふいに扉の向こう側から声を掛けられ、彼女──レダは、我に返り面を上げた。
「ええ。今行くわ……」
 そう言い残し、いつもと変わらぬ面持ちで足早に執務室を後にする。
 心に蔓延る不安に押しつぶされそうになりながらも、レダには、ゆっくりと考えを巡らせている時間など無かった。なぜなら、責任者として担った仕事が山ほど残っているのだから。
 彼女の思いなど知らぬ顔で、夜は徐々に更けてゆく。
 浩々たる白銀の月が世界を照らす、静かな、とても静かな夜であった。



 ***



 その夜、子供達が訪れた村は騒然としていた。
 シノビの里から帝都グランデュールへ続く、未だ僅かに緑の残る丘陵に、突如現れた地図にない場所。帝都までの旅路を野宿で済ませようとしていた子供達にとって、それはまさに、広大な砂漠の中にオアシスを発見した時と同じような、思いもよらぬ嬉しい発見だった。
 しかし、そこで彼らが受けた洗礼は、まさに思いもよらぬ酷い仕打ちであった。
 住民達は、暗がりに浮かぶ影を目にするや否や、まるで恐ろしい化け物にでも出くわしたかのように慌ただしく錠を掛け、あっという間に屋内に籠ってしまったのだ。
 結局、子供達は静まり返った見知らぬ村の中央で、呆然と立ち尽くす他なかった。


「も~!!あたし達が何をしたって言うの!?交渉の余地も与えてくれないなんて、あまりにも酷過ぎるじゃない……」
 岩陰に設けたテントの中で、マリンが不満を爆発させた。
 無理もない。憩いを求めて立ち寄った場所での予想もしない出来事に、いつも前向きなガイルとピィチは勿論、セレナですらも面を下げてうなだれていた。
「きっと、暗闇の中から突然やってきたから、モンスターと間違えてビックリしちゃったのよ。悪気はないと思うけど……ねえみんな、また明日よってみましょう?」
 セレナの膝の上で怒るマリンをなだめながら、ピィチが促した。
「ああ……そうだな。確かに、あそこにはもう一度行ってみる必要があると思う。あいつらの慌てっぷり、どう見ても尋常じゃなかった。それに、竜人族の俺だから気付いたんだろうけど、鼻を衝く変な臭いがそこら中に漂ってたんだよな……」
「変な臭い?ガイル、それってどういう……」
 不安げな視線に気付いたガイルは、話を止めて隣に座る少女の頭を軽く撫でた。
「心配するなってセレナ。俺の勘違いかもしれないしな。さ、今日はもう寝ようぜ!月明かりが雲に隠れないうちに、な」

 子供達が眠るテントへ向け、離れた木群から鋭い視線を送る影が有った。
 影は、足音を殺し息をひそめながら、徐々にテントの方へと歩み寄る。しかし次の瞬間、背後から送られる強烈な殺気に感付くと、一目散にその場を去って行った。
 安らかな寝息を立てて眠る子供達のうちの誰一人として、正体の知れぬ複数の影が繰り広げる密やかな駆け引きなど知る者はいなかった。



 その日の空は、朝からどんよりしていた。
 明朝早く例の村へと向かった一行。しかし彼らは、その凄惨な光景が視界に入るや否や、咄嗟に揃って足を止めた。
 無数の十字──さすがのガイルですらも、夜の暗さのせいもあって気が付かなかったのだろう。小さな村の周りを囲うようにして、数ある木造りの埋墓が地面を覆い尽くしていたのだ。
 中には、野犬や野鳥に荒らされたのか、土中から亡骸が覗いているものもあった。
「あ……あんたが言ってたのって、まさか……」
 生温い風が、周囲を漂う空気をゆるゆると運んでくる。昨晩、ガイルが嗅ぎ取っていた臭いとは、まさにこの陰鬱な空気のことであった。
「……行こう。なんだか胸騒ぎがする」
「ああ、そうだな……」
 マリンの隣で静かに手を合わせていたセレナに促され、ガイルは先頭を切って村内ヘ向け歩み始めた。地図にない、忘れられた場所の現状を瞳に焼き付けながら。

 ボロボロに朽ちた木柵に添えられた鉄板には、村の名前だろうか、錆びて解読が困難な文字列が刻まれている。外壁が無残に崩れ落ちた納屋のようなもの、そして、人影を思わせるおぞましい造形の裸木が点在する、静寂の村。
 一行は、肌に纏わりつく嫌な空気を掃いながら、中でも辛うじて形状が保たれている一軒の家屋へと向かった。
「すみませーん」
 しんと静まり返った屋内。人間の気配は微かに伺えるものの、一向に呼びかけに応じる様子はない。
「……ダメね。何度呼んでも出て来やしないわ。ねえ、そろそろ先を急がない?ここでぼんやりと待っていても時間のムダよ。この件に関しては、あたしはあまり関わらない方が良いと思うわ。こんな……薄気味の悪い……。相手だって、きっとそう思ってるんでしょ」
「余所者には介入されたくないって訳か……」
 再三の呼びかけの後、中々訪れない事態の変化に、ガイルとマリンは半ば仕方なしに戸を離れると、後方で待つセレナ達の元へ引き返す。
 しかし歩を進めて間もなく、背後から不意に呼び止められた二人は、思わず同時に振り返ったのだった。


 一行を出迎えたのは、薄汚れた身形の痩せ細った男であった。
 とても健康的とは言い難い肌の色をした彼は、少しでも重さを加えたら壊れてしまいそうなテーブルに着く旅人達に、欠けて変色したカップに注いだ、湯気の立つ飲み物を差し出す。マリンは見たことのない色をしたそれを口元を引きつらせながら受け取ると、なんとか微笑み返した。
 仄暗い室内を、小さなランプの明かりだけがぼんやりと照らしている。
 どうやら、この家の住人は彼一人らしい。至る所に蜘蛛の巣の張り巡らされた暖炉や天井は、長い間手入れが施されていないこと窺わせる。壁に空いた拳大の穴からは絶え間なく冷たい風が吹き込み、それによって屋外に漂う鼻を衝く臭いが部屋の中へまで流れると、皆とてもではないが物を口にする気分にはなれなかった。
「俺はイヤン。さっきはすまなかったな。こっちにも色々と事情が有るってもんだ。ま、楽にしてくれや。しかし……旅の途中でここを見つけるたあ、お前さん方も相当運が悪いらしいな。それに、どいつもこいつもあれこれ訊きたそうな顔してやがる。まあ……これも何かの縁だ。順を追って話すとするか」

 イヤン──そう名乗る男は、徐に薄い硝子の張られた窓へ歩み寄ると、閑散とした村の様子を眺めながら、静かに語り始めた。
「見ただろう?あの墓標の数を……ご察しの通り、あれは全てここの住民の骸に違いねえ。今はこんな悲惨な姿になっちまったが、家族や仲間の絆を何よりも大事にする幸せな村だった。ちいっとばかし、貧しかったがな。だが……数年前のある夜、幸せな暮らしは惨劇に変わった。北の山からやってきた奴らの手によってな……」
 奴ら。その正体を耳にした瞬間、子供達の顔は一気に青褪めた。なぜなら、それはこの世界に生を成す者達にとっては、あまりにも信じ難い内容だったからだ。
「じ……冗談だろ?俺達はガキの頃からそう教えられていたし、現に旅の途中何度もこの目で見てきた。イヤンの話が本当なら、セイル=フィードの理に反してる……!倒した魔獣が消滅せずに襲ってくる・・・・・・・・・・なんて!!」
 静寂の村全体に、ガイルの叫声が響き渡った。

 未だ昼間だというのに分厚い雲に覆われた空は暗く、重々しい空気を運んでくる。
 偶然立ち寄った予定外の場所ではあったが、住民イヤンとの思いがけない出会いによって、一行は村での滞留を決意することとなった。
 隠された真実を暴く為に──

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