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第四十話 -千の夜をこえて-

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 光を纏う神秘的な姿形、そして木漏れ日の如く優しい温もりは、いつかの“始まりの夜”を少女の脳裏に鮮明に思い起こさせた。
 手負いのキスケも、魔族のチヨマルですらも、双方の間に凛と立つ艶やかな姿に魅入られ息を呑む。しかし、そんな二人よりも驚いていたのは、間違いなく召喚主のセレナであろう。なぜなら、召喚に一切祈りの言葉を必要としなかったからだ。
 それにも拘わらずこの聖獣ユニコーンは、少女の感情の高ぶりと共に突然現れ出た。まるで、自らの意思でこの機を選んだかのように。

 じりじりと後退るチヨマル。セレナ達二人には、闇の使者である彼が、聖獣から発せられる眩い輝きを厭がっているようにも見て取れた。
 その間に、深手を負いセレナにもたれているキスケを、穏やかな眼差しが捉える。
 脇腹の傷は深く、止めどなく流れる鮮血が深い緑色の衣を黒く染めてゆく。ユニコーンは、二人が静かに見守る前で、傷口付近にそっと額の角をかざした。
「治癒の……力だと……」
 優しい温もりに、ゆったりと身を委ねるキスケ。
 淡い光に包まれた傷が、腹部を濡らす血液が、徐々に徐々に収まってゆく――
「させるかッ!!」
 見かねて再び術を唱えはじめるチヨマル。セレナとキスケの頭上の闇が大きく波打ち、先と同様に無数の刃がぬるりと顔を出す。
 必ずや外すまいと刀を構えたチヨマルは、降り注ぐ刃と同時に疾駆し、刹那、二人と聖獣の留まっていた場所に、迫撃と漆黒の雨が降りかかった。

 手応えは――無い。

 即座に向き直した血眼の目に、闇に浮かぶ光の粒子だけがぼんやりと映り込む。
「おのれ……こざかしい真似を!」
 次の瞬間、僅かに隙を見せた彼の手元の妖刀が、鋭い金属音と共に弾き飛ばされ宙を舞う。直後、間近に殺気を感じ咄嗟に後方に退くチヨマル。しかし、自身の創り上げた空間の中であっても、中々相手の位置を把握することが出来ない。
「俺は逃げも隠れもしとらんぞ」
「なに!?」
 不意に背後から響く抑揚のない声。気配は確かにそこに有る。だが姿が見えない。
(そうか――先の光で目をやられたか――)
 ならばと心の眼でもって敵を捉えようとするが、その言葉の意味に気付いた頃には、時は既に遅かった。
 キスケの鉄爪による怒涛の連撃によって、不意を突かれたチヨマルの黒翼は、無残にも散飛し、一瞬にして朽ち果てた。
「ぐ……おのれエエーー!!」
 凄まじい怒号が轟くと同時に漆黒の空間は徐々に薄れ、周囲の木々が、石畳の路面が露わになってゆく。術者の心の乱れが術に影響を及ぼしているのだ。そう、セレナの魔法と同じように。
 それでも彼は抗うことを止めなかった。翼を、得物を失っても尚、全うすべく自らの使命を果たすために。
 すぐさま両手を胸の前で組むと、再び影の刃を生み出す呪文を唱え始める。しかし、討つべき敵は表情一つ変えずに、目の前でその光景をただ静かに眺めていた。
「何故逃げぬ……なぜ避けようとしない!」
「それ以上何が出来る。虚勢を張るのもたいがいにしろ」
「なっ……」
 その応えに言葉を失うチヨマル。キスケの言う通り、荒ぶ心を鎮めなければ、再び空間を作り上げるのは不可能。不覚にも彼は、“無”の感情を持つ者に、逆に心の内を曝け出してしまったのであった。
「その目だ……お前ら人間は何時の頃もその憐みの目で我々魔族を見下してきた……共存など馬鹿げている!人間は自らの利益しか求めておらぬのだろう!?お前らの様な下衆共にこの世界は渡さぬ……たとえ我が命が尽きようとも!」
「ならば何故貴様はその下衆の姿をしていた」
 思わずチヨマルは面を上げた。
「変化を駆使できるのであれば人の成りでなくとも良かろう。七年前の戦から此れまで、貴様は里で人として生きていた。俺が理由を当ててやろう。人の生き様が恋しくなった。違うか」
「知ったような口をきくな!!違う……拙者は……チガウ……!!俺は仲間を殺めた人間が憎い……!今迄も此れからも……!!」
 ほんの僅かな空間の残影が波打ち、数本の刃が現れる。
「ほう、ならば此れまで通り貴様の誇る魔族として生きるがいい。あの世でな」
 それらを後転しながら軽々と回避するキスケ。そして息つくいとまもなくチヨマルへ目掛け風を切り――

『阿修羅連斬!!』

 鉄爪から修羅の如く猛攻が繰り出された――



 ***



 どこからともなく、鳥の囀りが響く。

 折り重なる樹枝の隙間から青白い黎明の空が見え隠れし、常夜のコダマの森に、久方ぶりの朝の訪れを知らせる。
 木々の合間を飛空し、一羽のしなやかな鷹が姿を現した。ようやく相棒との再会を果たした彼は、音を殺して静かに肩に身を下す。
 静かな、とても静かな空間で、哀しいほどに澄んだ空気は、長い夜の終焉を告げているようにも思えた。

 魔力をとうに使い果たしてしまった少女に、それ以上出来ることはなかった。
 術者が力を失うと同時に漆黒の空間は消え失せ、妖しくも幻想的な森の様相が映し出される。獣道と社を繋ぐ白の石畳には、横たえる術の主――チヨマルと、彼に寄りそう少女セレナの姿があった。
 セレナの腕の中で息を荒げる満身創痍のチヨマルは、不思議なことに人と魔族の容姿が混在したままで保たれている状態であり、背中から流れ出る血液の色は人と同じ鮮やかな赤色をしている。

 ひっそりとした広間に漂う静黙。
 誰よりも先にそれを断ったのは、初めて出会った日の面影を僅かに残した、チヨマル本人であった――


「未練……愚かな話だ。どうやらこの醜い姿が俺が求めていた答えらしい。人に化けている時間が長過ぎたようだ。人間と……共に暮らしていた時間が……」
 チヨマルは、華奢な腕の中で、微かに窺える空を仰いだ。
「光と闇の共存。主はそれを望んでいた。されど……遥か昔から相対してきた我々が互いを受け入れるなど、そう安易に成せる訳がない。我等魔族は、光の下に生を受けた地上の住人に、生きる場所を奪われ永久の闇へ葬られたのだから……貴様には分かるまい。我等魔族の思念など」
「チヨマルさん……もう……」
 セレナが握るチヨマルの手が、徐々に冷たくなってゆく。
 二人から離れた木にもたれ腕組をしていたキスケは、身動ぐこともなく目を伏せたままであった。
「いつしか……仲間の中に光へ憧れを抱く者が現れた。しかし、奴らは地上に降り立つなり、人間共に無残に殺されてゆく……果たしてどちらが悪だと言える?仲間の為に仇を討つのは当然のことだろう。そうは思わぬか?」
「…………」
「だが……報復にこの里を選んだのは誤算だった……あの人間は俺の正体が魔族だと知って尚……そばに置いてくれた……。可笑しな話だろう?……何時寝返るとも限らぬのにやつは……たとえそれがはかりごとであったとしても……あの方と共に見た満開のサクラも鮮やかな紅葉も……拙者にとってかけがえのないものでござった……。拙者は……恩を仇で返した……当然の報いやも知れぬ……」
「セレナ殿……最期にもう一度……其方の歌を聴かせてはくれませぬか?どうか……この愚かなチヨマルの本意をおキク殿へ……其方の歌にのせて……」
「それがあなたの願いなら……」
 セレナの腕の中で、彼は微かに頬をほころばせた。


 いつかの歌が、朝もやに溶けて森に広がる。
 出会いと別れ、絶望と希望、喜びと悲しみ。
 離れ離れになった、大切な人を想う詩。
 幾千の夜をこえて、いつかふたたび、巡り合えることを信じて――


 穏やかな表情を浮かべ横たえるチヨマルの体を、浄化の光が包み込む。金色に輝く粒子は次第に煌めく霧にかわり、風と共に天へ還る。
 セレナはひたすらうたい続けた。彼の愛すべき第二の故郷へ願いが届くようにと、ただ、ただひたすらに――



 ***



 次に目覚めたときには、セレナは柔らかな布団の中にいた。

 徐に身を起こすと同時に、体中を激しい痛みが走る。傷だらけの手足に視線を移し、それまでの出来事がようやく夢ではないと悟った彼女は、いつかの閑散とした屋敷の一室で、一人思いを巡らせていた。
 木製の格子窓から眺められる空は明るく、里で初めて迎えたあの日の朝と同じように、窓辺に寄り添う小鳥たちの姿が見て取れる。差し込む柔らかな日差しは温かく、穏やかであり、平和な朝の訪れを感じさせるには充分であった。
 まるで、本当に、何事もなかったかのように……

 しばらくしてから、一人のシノビが音もなく部屋へやってきた。
 セレナは促されるままに支度を済ませると、彼の案内を受け部屋を後にする。相も変わらず、外廊下に隣接する庭園は目を見張るほどの美しさであったが、その美しい風景ですら、今の彼女の空虚な心に響くことはなかった。
 あの日のように、初めて見る景色への高揚も、不安もない。ただ淡々と歩を進め、そしてあの日のように、繊細な花の文様が描かれた障子戸の前で足を止める。
 間もなくして、見張りのシノビ達によって大広間への戸が開け放たれた。
 すると、真っ先に少女のもとへ駆け寄ってきたのは、再会を切に望んでいた愛すべき仲間たち――ガイル、マリン、そしてピィチであった。
「セレナああ!!もう、遅かったじゃないの!ずっと待ってたんだからね!?きゃあ、ちょっとあんた怪我してるじゃない!今までどこに行ってたの!?何が有ったってのよもう……!」
「セレナ……」
 今にも泣きだしそうなマリンとは対照的に、ガイルと肩の上のピィチは、神妙な面持ちで彼女を迎えた。
「ホントよ……でも、ちゃんと戻ってくるって信じてたんだから……だって、セレナはアタシの家族だもの……」
 お喋りな小鳥の娘が声を詰まらせる。そして――
 ガイルは、折れそうなまでに痩せ細ったその体を、優しく抱きよせた。
「帰ってきてくれてありがとうな……セレナ」
 少年の腕に抱かれ伝わる温もり、鼓動。言葉にせずともあふれる思い。
 セレナの心に、今まで感じ得たことのないほどの感情が込み上げてくる。それが形となって頬を濡らした時、少女は改めて、仲間たちの尊さを知るのだった。
「ただいま……みんな……」

「よう修行を乗り越えたのう。セレナ・シルフィーンよ」
「おキク……さん……」
 部屋の正面奥に鎮座する白髪の老婆が、穏やかな笑みを浮かべ手招きをする。
 仲間たちに見守られながらおキクの元へ歩みを進めるセレナは、途中、無意識に視線をおよがせた。
 彼女の側に、あの黒髪の青年はもういない。
 おキクは、物腰柔らかにセレナを迎え入れると、面を伏せ静かに腰を下ろした少女に、着物の隠しから取り出したあるものを見せた。
 それは、一枚の白い札であった。
「大したもんじゃよ。流石はわしが認めた王の娘。これでわしも悔いなく往生出来るわい。さて、無事修行も済んだところで、早速じゃがお前等には……」
「おキクさんあの……!」
 全てを打ち明けなければならない。思わず声を張り上げたセレナを、おキクは横目で窺った。
「あの……チヨマルさんのことは……」
 ふいに、セレナの赤くはれた目前に皺だらけの手がかざされ、それ以上の言葉を遮った。そして、彼女は小さく頭を横に振ると、沈黙の中徐に口を開いた。
「分かっておる。お前は何も話さんでもええ。すべて訊いたわい……奴に、な」
「えっ……?」
 おキクが子供たちの後方を顎で指す。
 そこには、いつかの寡黙な青年――キスケが、柱にもたれて腕組をしていた。
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